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沿革

フルヤ・クロニクル:いつも最先端を切り開いてきた

わが国のボタン製造の草分けとして1918年(大正7年)に創業して以来、フルヤ工業は常に時代の変化を先取りしながら技術革新と最先端の製品づくりに取り組んできました。道なき道を切り開くパイオニア・スピリッツ。それが創業時から変わらぬフルヤ工業の原動力です。

フルヤ・クロニクル

 

[躍進期]プラスチックの新たな可能性に挑戦

2023年 第9次事業再構築補助金採択
2022年 柏原税務署より税務執行の円滑な運営について感謝状を頂きました。
流動解析事業を開始
2022年 令和元年度補正サービス等生産性向上IT導入支援事業費補助金
第3次事業再構築補助金採択
ものづくり・商業・サービス生産性向上促進補助金
2020年 IATF16949:2016 認証取得
中小企業庁:事業継続力強化計画認定
ひょうご仕事と生活の調和推進企業に継続認定されました
2019年 テクニカルセンター竣工
ミャンマー人実習生受入開始
平成30年度補正ものづくり・商業・サービス生産性向上促進補助金
2018年 ひょうご仕事と生活のバランス企業表彰受賞
平成29年度補正ものづくり・商業・サービス経営力向上支援補助金
2017年 平成28年度補正ものづくり・商業・サービス新展開支援補助金採択
2016年 FURUYA INDUSTRIES(THAILAND) 第二工場 竣工
本社内に LSR(液状シリコーン)専用工場 竣工
平成27年度補正ものづくり・商業・サービス新展開支援補助金採択
2015年 事業所内保育施設「サボテンハウス」設置
平成26年度補正ものづくり・商業・サービス革新補助金採択
2014年 平成25年度補正中小企業・小規模事業者ものづくり・商業・サービス革新事業に係る補助金採択
2013年 平成24年度ものづくり中小企業・小規模事業者試作開発等支援補助金採択
2011年 FURUYA INDUSTRIES (THAILAND)工場生産開始
タイ王国大洪水により全損の被災を受ける
2010年 合弁企業「台湾摩理都股分有限公司」合弁を解消し撤退
香港の降矢香港有限公司閉鎖
タイ アユタヤ県にFURUYA INDUSTRIES(THAILAND)会社設立
LSR(液状シリコーン)複合成形機導入
平成21年度ものづくり中小企業製品開発等支援補助金採択
2009年 金型内製化本格スタート
クリーンルーム増設
2008年 ベトナム人技術者採用
2007年 東京営業所を開設
2005年 大阪中小企業投資育成株式会社の投資を受け資本金を4,500万円に増資
2004年 香港に降矢香港有限公司を設立
2003年 代表取締役社長に降矢寿民が就任
ベトナム人実習生受入開始
2001年 ISO 14001環境マネジメントシステム認証取得
2000年 ISO 9001品質マネジメントシステム認証取得
1999年 医療業界参入に伴い、クリーンルーム設置
1997年 Gショックブームに貢献
1996年 DSI射出成形機1号機導入
1995年 現社長死去により、降矢壽嗣が代表取締役社長に再就任
1990年 代表取締役社長に降矢寿信が就任。資本金を倍額増資し 3,000万円とする
1989年 モリト(株)と合弁企業「台湾摩理都股分有限公司」を台湾台中県に設立
創業70周年記念事業として、2階建新鋭工場建設・完全給食設備完成

DSI射出成形機第1号機DSI射出成形機第1号機

 

Gショックブームに乗り出版されたムック

Gショックブームに
乗り出版されたムック

 

[革新期]日本のアパレルシーンを支えた技術力

1982年 降矢壽三郎が非常勤取締役となる。
新社屋(管理棟2階建・第三工場)を建設移転。
ゴム+プラスチックの複合材を開発。バッグやオフィス家具、時計バンドなど様々な工業製品に用途を広げる
1980年 ゴルフシューズ、スポーツシューズのソール、アパレル関連パーツの2色成形品を製造開始
1979年 多材質射出成形機1号機導入に伴い第二工場を建設
1977年 世界初、完全密着型で割れないゴルフシューズのインジェクション・ソールを開発
1975年 アパレル商品の各種パーツ製造開始
サッカーシューズの広告サッカーシューズの広告

[展開期]プラスチック成形事業の開花

1970年 降矢壽三郎が代表取締役会長に、降矢壽嗣が代表取締役社長に就任
1965年 資本金1,500万円の法人組織に改組、社名をフルヤ工業株式会社と定める。代表取締役社長に降矢壽三郎就任
1961年 ケミカルシューズのプラスチックヒールを製造開始
1959年 射出成形機を導入、オールプラスチックのホック・ボタンを製造開始。以後、射出成形分野への事業展開を活発化していく
1955年 ポリエステル製シャツボタンの製造開始
1948年 プラスチック全盛時代の到来に備え、ホック・ボタンの原料をプラスチック(熱硬化性樹脂)に転換、樹脂直圧成形機を導入

雨ガッパ用プラスチックホック雨ガッパ用プラスチックホック

 

射出成形機導入第1号機

射出成形機導入第1号機

 

ケミカルシューズのヒール

ケミカルシューズのヒール

[草創期]ボタン製造のパイオニア

1942年 海軍軍需工場の適用を受け、海軍軍服用ボタンの製造を開始。
1927年 創業者降矢壽三郎の出身地(多紀郡篠山町福住)にほど近い現在地へと工場を移転
1923年 アイボリー・ナット(椰子種子)を原料としたホック・ボタンの製造を開始
1918年 国民の洋装化に注目した降矢壽三郎が、大阪市天王寺区国分町にて、わが国のボタン製造の草分けといえる降矢ボタン工場を創業
椰子種子とボタン椰子種子とボタン昭和2年の工場内の様子